丹後ちりめん織元 たゆう

丹後ちりめんの歴史

ちりめんの祖・絹屋佐平治

丹後ちりめんが、今のように独特のシボを持ち、絹の風合いと感触を最高に発揮する織物になったのは享保5年(1720年)のことです。峰山の人、絹屋佐平治が京都西陣の機屋(はたや)へ奉公し、秘伝の技術…糸繰り、糸口の仕掛け、シボの出し方などを、苦心さんたんの末に学び取り、丹後へ持ち帰って今日の丹後ちりめん技術のいしずえを築きました。以来、絹屋佐平治は丹後ちりめんの祖と仰がれ、その心と技は里人に受け継がれています。

佐平治の住んでいた町は、明治の初めに織元(おりもと)と改められ、「丹後ちりめん始祖森田治郎兵衛翁発祥地(しそもりたじろうべえおうはっしょうち)」の碑(ひ)が建てられました。佐平治の墓は森田治郎兵衛翁の墓として峰山の常立寺(じょうりゅうじ)にあり、今でもその業と徳をしのんで参詣(さんけい)する人が絶えません。

【出典、参考文献】

「丹後ちりめん始祖 絹屋佐平治ものがたり」峰山町/「峰山郷土史 上巻」峰山町